測られていないものは、無いことになります――学生へのハラスメントと、統計の空白

大学院・研究指導

大学院でハラスメントに遭った学生は、日本に何人いるのか。この問いに答えられる数字は、存在しません。相談窓口が受理した件数はあります。ただ、それは被害の発生数ではなく、窓口まで届いた数です。

そして、届かなかったほうが多いことは、すでに調査で示されています。

同じ調査の中に、二つの数字がある

大学等における唯一の大規模調査は、日本学術会議が2019年に実施し、2023年8月の提言として公表したアンケート調査です。この調査は2つの部分からなり、それぞれ違う像を示しています。

大学に尋ねた場合と個人に尋ねた場合で、数字が食い違うことを示した図
図1 同じ調査の、機関調査と研究者調査

大学に尋ねた結果

310の大学・研究機関が回答しています。

  • 被害の実態を把握していると回答した大学等 92%
  • 実態把握のため教職員にアンケートを実施 86%
  • 実態把握のため学生にアンケートを実施 10%

9割超が実態を把握していると答える一方、その手段は教職員に偏っています。学生に直接尋ねている大学等は、1割にとどまります。

個人に尋ねた結果

同じ調査の研究者調査には、約1万人が個人として回答しています。

  • ハラスメント被害の経験がある 全体41%(女性56%、男性30%)
  • 被害を受けた時期は「10年以内」が約7割
  • 誰にも相談しなかった 男性27%、女性19%
  • 相談窓口を利用しなかった理由の上位は、「真剣に対応してもらえないと思った」「報復が怖いと思った」「人間関係が壊れると思った」

もうひとつ、示唆的な数字があります。ハラスメントを避けるため職場で発言を控えていると答えたのが女性35%、研究チームや研究分野を変更したのが女性17%。

二つは、一致していません

大学等の92%が実態を把握していると答え、当事者の41%が被害を経験している。そして、窓口を使わなかった理由の最上位は、窓口そのものへの不信です。

窓口を経由して集めた数字が実態を映さないことを、既存の全国調査自身が示しています。

これは推論ではありません。同じ調査の中に、両方の数字が並んでいます。

そして、学生は測られていません

ここまでの研究者調査の回答者は、大学教員と研究員が中心です。学部生や大学院生の大半は含まれていません。

学生について存在するのは、大学が受理した相談件数だけです。そして、相談に至らなかった理由が報復への恐れと窓口への不信である以上、この数字は構造的に最も過小に出ます。

学生の被害を直接測ったデータは、日本に存在しません。

学校基本調査によれば、大学の学部在学者は約264万6千人、大学院在学者は約27万7千人です。合わせて290万人以上が、測られていない側にいます。

窓口を使えないと感じているなら

それは、あなただけの感覚ではありません。約1万人の調査で、窓口を使わなかった理由の最上位に挙がったのが「真剣に対応してもらえないと思った」でした。相談しないという選択が、個人の弱さではなく構造の帰結であることは、数字として出ています。相談先の選び方については、別の記事に書きました。

なぜ、測られないのか

制度上の理由があります。

現行のハラスメント法制は、労働施策総合推進法と男女雇用機会均等法を軸に、事業主の雇用管理上の措置義務として組み立てられています。保護の対象は労働者です。学生は雇用関係にないため、この枠組みの外に置かれます。

ここで、興味深い変化が起きています。

2025年6月に公布された改正法(令和7年法律第63号)により、求職者等に対するセクシュアルハラスメント、いわゆる就活セクハラの防止措置が、事業主の義務になります。施行は2026年10月1日、来月です。

求職者は、当該事業主と雇用関係にありません。就職活動中の学生も、インターンシップの参加者も含まれます。

つまり「雇用関係がないこと」は、もはや保護の対象から外す理由とはされていません。

それでもなお、在学中の学生は、いずれの措置義務の対象にもなっていません。同じ学生が、企業の採用活動の場では保護され、自分の研究室では保護されない。この状態が、来月から始まります。

大学への関与も、法令ではありません

大学に対する国の関与は、法令上の規定ではなく通知と啓発にとどまっています。文部科学省は2025年4月に研修資料「大学におけるハラスメント防止に向けて」を公開していますが、これは啓発であって、実態把握ではありません。

そして日本学術会議は、2023年8月の提言で、学生を含む実態把握の必要性をすでに指摘しています。3年前に国の科学的助言機関が示した課題が、いまだ実施されていない、というのが現在地です。

測ることは、対策ではありません

誤解のないように書いておきます。実態を測っても、それだけでは何も解決しません。

ただ、測られていなければ、対策の要否も、その効果も判断できません。予算をつけるべきかも、つけた予算が効いたかも分からない。意思決定をする人の手元に、材料がない状態が続きます。

そして、測られていないものは、しばしば無いことにされます。相談件数だけを見れば、大学ごとに年間数件です。その数字で判断すれば、優先度の高い問題には見えません。

以前、看護師国家試験の合格率について書きました。合格率は公表され、入学者数は公表されない。だから、入学した人のうち何人が受験にたどり着いたかは分からない。見えている数字だけで判断が進む、という点で、これは同じ構造の話です。

何が必要か

制度設計の詳細は、この記事の範囲を超えます。ただ、測るための条件は、上の数字から自ずと決まります。

  • 尋ねる相手が、大学ではなく学生本人であること
  • 窓口が受理した相談の集計をもって、実態調査に代えないこと
  • 調査の実施主体が、当該大学と利害関係を持たないこと
  • 調査の設計と結果の公表について、当該大学が決定権を持たないこと
  • 大学間で比較できる、共通の設問と指標を用いること

3番目と4番目は、窓口への不信という調査結果から直接導かれます。自分を調査する主体が自分自身であれば、結果は信用されません。それは大学が不誠実だからではなく、そういう構造だからです。

おわりに

この記事に、告発の意図はありません。大学の窓口の多くは、限られた人員で誠実に運用されています。

書きたかったのは、ひとつだけです。窓口に相談しなかった人の数を、私たちは知らない。知らないまま、相談件数を見て判断している。290万人の学生について、それが続いています。

いま困っている方へ。あなたが相談をためらう理由は、調査の中に同じ言葉で並んでいます。それは、あなたの側の問題ではありません。

※ 本記事の数値は、日本学術会議 提言「大学・研究機関における男女共同参画推進と研究環境改善に向けた提言」(2023年8月29日公表、調査実施は2019年)、文部科学省「令和7年度学校基本調査」、および厚生労働省の公表資料に基づき、2026年9月2日時点で作成しました。
※ 法改正の施行日および内容は、施行までに変わる可能性があります。最新の情報は所管省庁の公表資料でご確認ください。

利益相反の開示

本記事を掲載する株式会社コノラボは、教育機関向けの外部ハラスメント相談窓口の受託・運営、および研究支援を事業としています。本記事が論じる学生対象の実態調査が制度化された場合、当社および関連団体は、当該調査に関する業務を受託しうる立場にあります。

本記事はこれらの利害と無関係ではなく、その旨をあらかじめ開示します。本記事が特定の実施主体を示さず、独立性の要件のみを述べているのは、この理由によります。なお当社は、相談窓口を通じて得た個別の相談情報を、記事および研究に用いていません。

学内では話しづらい、というとき

当社は、教育機関向けの外部ハラスメント相談窓口の受託・運営を行っています。導入のご相談も、個人からのご相談も承ります。

相談してみる(無料) アカデミックハラスメントについて

あわせて読みたい

友だち追加
カテゴリー
アーカイブ